数年越しのA Study in Scarlet
『緋色の研究(原題:A Study in Scarlet)』(コナン・ドイル, 延原謙訳, 新潮文庫)を読みました。
実は緋色の研究にはちょっとした思い出があります。
かつて、図書館で中学生のリクエストをもとにした文庫を作るというイベントが行われていて、中学生だった私は「シャーロック・ホームズシリーズ」と書いたリクエスト用紙を募集箱に入れました。
ちょうど中学1年というのは学校で英語の授業が本格的に始まる時期で、当時の教材でホームズが扱われているのを目にして、なんとなく読んでみようかなと思ったのです。
その頃図書館にホームズはありました。ただ、何冊かが欠けていたのか、相当古かったのか、そこのところの記憶は定かではありませんが、リクエストに応えて何冊分かを購入していただけることになりました。その内の1冊が『緋色の研究』でした。
まさか本当に購入していただけるとは思っていなかった私。その旨を伝え聞いて、すぐさま図書館に行くと、中学生リクエストの文庫コーナーの中にあるシャーロックホームズシリーズを認めることができました。(たしか緋色の研究の他、シャーロック・ホームズの冒険もあった気がします)
購入していただけたことに感謝し、すぐに読み始めました。
しかし、中学生の頃の私が『緋色の研究』を最後まで読むことはありませんでした。
なぜか。
理由は本当に何でもないことなのですが、当時の自分の中で作り上げられていたホームズ像とリアル・ホームズに違いを感じてしまったからです。
私の中にあるホームズにまつわる情報は、上で述べたように学習教材から得たもののみ。往々にしてそうなのですが、学習に用いられる教材などは、キレイなところにフォーカスしがちで、実はそれはほんの一面に過ぎないということがあります。その一面は、決して間違ったものではありません。ですが、必ずしも全体を正確に捉えたものではないのです。
結果私の中で起こったのは、「ホームズとは、理知的かつ高潔な紳士である」というイメージ像の完成でした。
ですから、ホームズの奇人っぷりというか、なかなか高潔には見えなかったことに面食らってしまい、積もり積もった「あれっ?」という気持ちはやがてページをめくる手を止めるに至らせてしまったのです。今思えば、なんとも些細なことで読むのをやめちゃってるんだなぁとか思うのですが(汗)
以来かなりの年月が過ぎました。図書館には、当時購入していただいた緋色の研究が、数ある文庫本の中に収まっていました。『緋色の研究』『冒険』の二冊が他のものと比べて装丁が新しいものだったので、すぐに当時のものだと分かりました。小口を見れば、購入いただいて以来、これらの本がいかに愛されてきたのかを知ることができ、なのにお願いをした私が未だに最後まで読んでいなかったという事実に、すこし苦い気持ちになりました。
...というわけで!数年越しに『緋色の研究』を、当時購入いただいた本で、最近になってようやく読んだ次第です(拝啓図書館様。読むのが遅くなり、大変申し訳ございません汗)。
読んでの感想。『緋色の研究』のホームズは、やはり紳士っぽくはないけど、そこまで突拍子だとか、荒れてるわけでもない。
...などと感じられるのも、楽しく最後まで読むことができたがゆえか。
今回はこれにて閉幕。