夕涼み第Ⅲ部会

アニメ・小説を扱うことが多いですが、基本的に何でもありです

2022年 印象的だった作品まとめ

 2年連続、クリスマスに1年を回顧するなにかを書いています。

 いろいろありました。楽しいことも、しんどいこともありました。私にとっては、様々なことが動き始めた1年でした。たぶんですが、多少は頑張ることができたのだと思います。たくさん支えてもらって、感謝感謝です。

 とはいっても、まだ今年は終わってないので。残り数日もやれることをやっていきたいと思います。

 

 ということで、2022年 印象的だった作品まとめ。題の通り、印象的だった作品をいくつかピックアップしてみました。本とかマンガとかって、それ自体すごくおもしろいんですが、その作品の内容とは別に、それに触れたそのときどきの自分と分かちがたく結びつくから、おもしろいんですよね。改めて触れるとき、自然とその作品に本筋とは別の自分の物語をリプレイしてしまう。それと同時に、その作品には、また新たな自分だけの物語が加わっていく。

 懐かしい場所へとやってきて、目の前の現実世界と自分の思い出の世界が同時に流れていくあの感じです。

(*ここで触れるのは2022年に私が接した作品で、2022年に発表されたものを集めたということではありません)

(**アニメについては、マンガ原作等であってもアニメとして触れたものは【アニメ】にグルーピングしました)

 

【小説】

クドリャフカの順番」(米澤穂信、角川文庫):古典部シリーズから一つをチョイス。河内先輩が好き。

すべてがFになる」(森博嗣講談社文庫):真賀田四季の圧倒的存在感。立場上(?)これを読むとなんか毎日頑張ろうと思ってしまう。

イニシエーション・ラブ」(乾くるみ、文春文庫):本編最後のページでビクゥ!ってなったいい思い出。

儚い羊たちの祝宴」(米澤穂信新潮文庫):これまで進んで短編に触れようとしてこなかった私に、短編の醍醐味を気づかせてくれた。少し悔しいのは、私の知識の引き出しが少なすぎたこと。もう少しいろんな作品に触れてから読み直したら、どんな景色が見えるのだろう。

「幻の女」(ウィリアム・アイリッシュ、ハヤカワ文庫):全体を包む雰囲気の美しさときたら...

アクロイド殺し」「オリエント急行の殺人」(アガサ・クリスティー、ハヤカワ文庫):ああ、こんなことってあるんだなぁっていう...

「ローマ帽子の秘密」(E・クイーン、角川文庫):すごく頑張って考えて、だいぶいい線をいっているのではないかと思われたが、最重要ポイントの考察が足りず、敗北を喫した。幸い国名シリーズは未だこれ一冊しか読んでいないので、ここから一矢報いたい。

「リプレイ」(ケン・グリムウッド、新潮文庫):丁寧に毎日を過ごしたいと思う。今年の7~8月の自分に読んでもらいたい。

【マンガ】

「【推しの子】」(赤坂アカ×横槍メンゴ週刊ヤングジャンプ連載):読んだのは6巻まで。重曹。あかね。

「五等分の花嫁」(春場ねぎ、週刊少年マガジン連載、完結済):9巻まで。風太郎が味を増している。私、実は結末だけ知ってしまっている。でも、思う。大切なのは、結果に至る、過程だと。数学の先生も言ってた。

チェンソーマン」(藤本タツキ週刊少年ジャンプ連載):3巻まで。デンジくん最高。あと、マキマさんを見ると手が震える。...頼む、救われてほしい。3年くらい前、めちゃめちゃおもしろいと友人がチェンソーマンを推していた。当時は、変わった名前のマンガだな~くらいにしか考えておらず、結局読むこともなかったのだが...読んでみないと分からない。

【アニメ】

かぐや様は告らせたい」:3期+映画。いつ見ても楽しい。

魔法少女まどか☆マギカ」:プリキュアみたいに明るい(嘘)

化物語」:蕩れ。

SPY×FAMILY」:正真正銘に明るい。

チェンソーマン」:先日、寝る直前に見たら寝られなくなりました。

 

 マンガをしっかり読むようになったのは、数年ぶりです。やっぱりマンガはいいですね。

 今年は多少バタバタしたので、アニメは主に時間を縫って見る、という感じでした。

 来年は今年にも増して時間の制約が増えると思いますが、いろいろ接することができればうれしいです。

 では~

2021年 印象的だった作品まとめ

 去年の12月25日、振り返りの文章、と題して1年に触れた作品から強く印象に残ったものに触れながら2021年を回顧する文章を書いていたことを思い出しました。その文章は本来ブログ用に書いたものだったのですが、以降ブログのスタートまで相当時間がかかり、その文章をブログ用に用いることはありませんでした。今回は、そこで触れた作品群がどんなものだったのかだけさらっと振り返り、去年の自分はどんなだったかな、とちょっとだけ思い出してみようと思います。

(*ここで触れるのは2021年に私が接した作品で、2021年に発表されたものということではないです)

(**アニメについては、マンガ原作等であってもアニメとして触れたものは【アニメ】にグルーピングしました)

【小説】

夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦、角川文庫)

「何者」(朝井リョウ新潮文庫

コンビニ人間」(村田沙耶香、文春文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱」「涼宮ハルヒの溜息」「涼宮ハルヒの退屈」「涼宮ハルヒの消失」(谷川流角川スニーカー文庫

「星を継ぐもの」(J・P・ホーガン、創元SF文庫)

「ハーモニー」(伊藤計劃、ハヤカワ文庫)

華氏451度」(レイ・ブラッドベリ、ハヤカワ文庫)

図書館戦争」シリーズ(有川浩、角川文庫)

【アニメ】

涼宮ハルヒの憂鬱

小林さんちのメイドラゴン

聲の形

女子高生の無駄づかい

【その他】

ユリイカ2021年11月号 綿矢りさ特集

 

なるほど。こうして振り返ると、その作品に触れていたとき、私は何を考えていたのか、とか、どういう立場にあったのか、思い出せて楽しいですね。

ということで、次は2022年 印象的だった作品まとめ へと続きます...

究極の目的を考えたりする

 人生の究極の目的って何だろう、とか考えることってありますか?

 

 こういうのって、中学生とか、高校生の時までだろうって思っていたんです。思春期っぽいというかなんというか(笑)

 けれど、私の場合、案外そうでもない。寝る直前にふと、考えてしまうことがあるんです。

 別に悲観しているわけではありません。ただ純粋に、なんなんだろー、とか考えるんです。

 

 こういうのを考えるのは布団に入ってからの場合がほとんどなので、いいか悪いか、気づけば朝を迎えています。朝になると、夕べそんなことを考えていたというのはだいたい忘れています。それに、朝は朝で、いろいろやらないといけないんです。一日の準備で手一杯なんです。だからあれこれ考えてられない。

 

 たぶん、究極の目的とか、そういうものへの向き合い方は、こんな感じがちょうど良いんだと思います。なんなんだろー、とたまに考えて、気づいたら寝てて、朝になってもう次の日が始まってる、みたいな感じで。

 

 そんなこんなで、ケン・グリムウッドの『リプレイ』を読みました。

 「今」が究極の目的に繋がっている、もっといえば今こそが究極の目的なのではないか、とかいうことを思っていました。

 そして今の彩り方は、私次第だ、とも。

 

 まあその「私次第」こそが、一番難しかったりするんですが。

 

 今日の戯言はこんな感じで。

 明日これ読み直したらどんな気持ちになるんだろう、私...

 

2022年12月に発表する、2022年の抱負

 12月になった。2022年も残り一ヶ月でおさらばだ!という見方もあるが、個人的には、やり残していることがたくさんある。

 

実況「アディショナルタイムを除き残り時間はあと5分となってしまいました」

解説「時間はたっぷりあります!5分あれば2ゴールは決まります」

 

 「時間はたっぷりあります」。サッカー中継ではわりとおなじみのこの表現だが、12月に必要なのはこのマインドだと思う。つまり「物理的に時間がたっぷりあるわけではないが、努力と工夫次第でたった5分でも何だってできる」という気持ち。1ヶ月というのは決して長くはない。ぼーっとしていたらとんでいってしまいかねない。けれど、やるんだ!という気持ちで向き合えば、一年でやり残してることぐらいなら、なんとかなるはず。

 

要は表題はまどろっこしい言い方だが、2022年12月の抱負ということである。

 

調べ残したテーマがある。

書き残した課題がある。

直し残したレポートがある。

読み残した小説とマンガがある。

見残したアニメがある。

 

 2023年に向けて、何も繰り越さないというのは、立場上、性質上、不可能である。けれど、繰り越す前に、2023年に託す前に、今、やっておきたいことがたくさんある。2023年に繋がるからとか、期限があるから、とかいう理由でやるのではない(期限があるものは期限があるが)。今、それをしたいからする。中には面倒なこともある。それも含めて、今を大事にしたい。

 これが、私の、今年の、12月への向き合い方です。

 あと1ヶ月で、何だってできるわけではないかもしれない。けど、できることはたくさんある。2ゴール、決める位のことなら、努力と工夫でなんとかなる。なんとかしてやる。

 

*サッカーの喩えはしてますが、強烈にW杯に影響を受けたがゆえというわけでは特にありません。喩えとして引き合いに出しやすかったからです。でもサッカーは楽しんでます。

目のつけどころを誤っているせいで何を読んだのかが分からない読書感想文

 おもしろい、というか「よくできすぎててすごいなぁ...」という読後の感想。有名すぎる倒叙作品。感想はいくらでも転がっていると思うし、小説を読んだ、映画を見たという人は非常に多いと思うので、本編に関わる感想はこんな感じで。

 

 ...ふと、読んでいて感じたことがある。それは、「花岡靖子が働いていた弁当屋の店名の、ネーミングセンスの良さ」である。その名も「べんてん亭」。べんてん亭。...なんという語感の良さ。べんてん亭...プラスチックの弁当ケースの透明な蓋の奥には、片側に真っ白なご飯、反対側には白身魚のフライに卵焼きでも詰められているのだろうか。それでもって弁当ケース本体外側はリーフグリーンで、揚げ物のコテコテした偉容を感じさせない奇跡の調和。まさにランチ弁当。「べんてん亭」という名前の中に、弁当屋の弁当の究極形を連想してしまう... 「おすすめ弁当」!?たはぁっ!おいしそうだな!

 弁当屋「べんてん亭」。私はあまりの語感の良さに、べんてん亭や、おすすめ弁当が出てくるたびに、そんな、理想の弁当像を頭の中で思い描いていたのだった...

 いや、もし「べんてん亭」というネーミングに重要なキーがあったのがとすれば、教えてください。完全に見落としてます(汗)

 

 ...という具合で、何この感想、みたいなことを、本を読んだりするときに感じることがあります。何に心惹かれるかは人それぞれということで、一つご容赦くだされ...(もちろん本編の内容も楽しんでますよ!ここでは書いてないだけで!笑)

 

 最後の最後で話題脱線(いやずっと脱線してるけど)。最近語感の良さに驚かされた単語その1、「弁当」、または「お弁当」。「弁当」という漢字も、説明のしようがないですけど、なんかいい。その2「むぎ(麦)」。「むぎっ」て感じがするから。(この文章を読んでくれてる人の「...は?」という感想が手に取るように感じられる)

 

てなわけで、『容疑者Xの献身』(東野圭吾、文春文庫)を読んで、でした。